食事を取らない、取れないという事について考える
我が家のおばあちゃんは実に好き嫌いのはっきりした人で、好きなものは食べるし気に入らないものは食べないという、食事に関しても我が道を行かれるタイプです。自宅でその様でしたので、病院から『食事を取られず困っています』と言われた時にも、『そうでしょうねえ、すみません』としか答えようがありませんでした。
認知症を発症する前であれば、さすがに入院中は観念して病院食でも食べたでしょうが、認知症となった今、食べなければならないという意識はありませんので、『なかなか口を開いてくれない、口に入れても吐き出される』というあり様です。せっかく食べさせてくださっている看護師さんに申し訳なくひたすら『すみません』とお詫びをし、『好きな物しか食べませんので取りあえず食べるものだけでもお願いします』と申し上げるしかありません。この時かろうじて食べていたのは、甘いゼリーなど甘くて口当たりの良いものだけでした。
しかし病院側としては、ゼリーしか食べないからと衰弱させるわけにはいきません。そのまま入院していればその急性期病院でも人工栄養の相談があったものと思われますが、ほどなくして転院となりました。
転院すると色々と検査をされます。前の病院からの紹介状や診断書と併せて、患者の状態を把握するためだと思われます。嚥下機能の検査も行われました。
結果は、肺炎が完治していないので予断を許さず、嚥下機能が低下しているため、口からの栄養摂取は誤嚥と肺炎悪化の恐れがあり危険であるということでした。食事を取れないため取りあえず点滴をしているものの、点滴は完全栄養ではなくそれだけでは不十分であること、そして今後の方針、つまり人工栄養にするかどうかを早めに相談して決めてくださいと言われました。
医療の発達していなかった遠い昔、病気をしても原因がわからず治療法もなく、人はやがて食事が取れなくなり最期は衰弱して亡くなっていった、と新聞の特集記事でで読んだことがあります。そしてそれは苦しまない静かな死であったと。確か延命治療に関する記事だったと思います。
現代は医学が進歩し、多くの病気は治療法を研究され、直すための治療が施され、人は長生きできるようになりました。そして何かしらチューブを付けてベッドに横たわっておられるお年寄りも多くなりました。
大切な家族に一日でも長く生きてほしいと願うのは当たり前のことで、手段があるのなら手を尽くすべきだとも思います。しかし、もし自分が寝たきりになり、辛うじて生かされているとしたら…。あまり想像したくありません…。
おばあちゃんは好き嫌いもありましたが、入院前からだんだん食が細くなっていました。嚥下機能の低下は老衰によるものだと言われました。つまり年齢と共に自然に衰えつつあるということです。
こののち人工栄養にするかを決める事は、延命するかどうかの選択を、再び迫られたという事でした。