転勤族を楽しむ~転勤で旅行三昧

転勤族を楽しもう!全国各地旅行三昧!

転勤は大変です。引っ越しはもちろん、子どもがいれば、転校に伴う手続きをしたり、新しい学校でいじめられやしないかなどの心配が絶えません。そして、子ども同様、母も新しい環境に入っていくわけです。だれも知り合いのいない参観日の教室は、たいそう心細く、寂しいものです。そういう事を考えると、まだ子どもがいないうちの方が気が楽です。とは言っても、孤独な新しい環境に入っていくことは同じですので、やはり、転勤族の妻というものは、多少おおざっぱに物事を考えられる性質の人の方が、適応しやすいと思います。

そんなことで、転勤族の妻は大変なのですが、そこは、考えようです。大変だからこそ、プラス思考が、転勤しない人々より、さらに必要です。自分の気持ちをコントロールすることが必要なのです。必要、必要というのは、人生を楽しく生きていくためには・・・ということです。落ち込んだ気持ちで一日過ごすのも、楽しい気持ちで一日過ごすのも、同じ一日です。楽しく過ごさなくては、何だか損な気がしませんか?大切な自分の人生の、せっかくの今日という一日が、もったいないと思いませんか?

と、いうことで、転勤を、楽しく利用することを考えます。となると、真っ先に考えられることは、旅行です。せっかく知らない土地にいくのです。まずは、その土地のガイドブックを買いましょう。楽しい情報がてんこ盛りです。引っ越しの荷物が片付いたら、近隣の県にもどんどん遊びに行きましょう。期間限定で住むのですから、次の辞令が出るまでに、行きたい所を制覇しなければなりません。短いスパンで異動する会社にお勤めなら、どんどんまわらなければなりませんので、寂しいと思う暇はありません。たくさんお出かけして、たくさんの思い出を作りましょう!


転勤族サラリーマン妻の孤独脱出法~子育て時代はPTA活動も

お友達作りに役立つPTA活動

結婚して十年以上、転勤族のサラリーマンでした。転勤族の妻は、ただでさえ孤独に陥りやすい上、初めての育児が始まると、さらに孤独に追い詰められる人もいます。ここは、夫の支えや、遠くに居ても、親や友達の心の支えが欠かせません。いずれ、子どもを通して、お友達ができるようになりますので、最初が頑張り時です。近頃は、孤独に陥りがちな育児へのサポートが各自治体で用意されていますので、積極的に利用するとよいと思います。とにかく、子どもと一緒に外へ出てみることが大切です。家の中に、子どもと二人きりだと、煮詰まっていくばかりです。スマホで気晴らしより、子どものためにもなります。

転勤族だった頃、最も役に立ったのは、積極的に外に出る勇気でした。その延長線上ですが、PTA活動に積極的に関わることで、幼稚園や学校の様子がよく分かり、お友達ができました。結婚前、仕事をバリバリこなしていた人は、育児だけでは物足りなさを感じていることでしょう。そんな人にPTA活動は、うってつけです。本人もやりがいを感じますし、そんな人に役員を引き受けていただければ、助かる人はたくさんいます。時に役員は、人前で話す必要があり、慣れていない人にとって、それはとても大変なことなのです。人前で話すのが平気であることは、それだけで、希少価値のあります。自信を持って引き受けていただきたいと思います。ただ、表に立つ者は、何かと批判の対象にもなりますので、陰口をたたかれても気にしない、少々図太いタイプであることも必要です。

転勤族の妻だけど、どうしても積極的に出られないタイプの人は、何かしら自分の世界を持つと良いと思います。子どもがお昼寝をしている時間や、早く寝てくれた夜の時間に、自分の世界に没頭できる何か。今の時代はSNSで、どこに居ても、ネット上では人とつながれますので、昔よりは孤独感が少ないのかもしれません。その地域で、趣味のサークルを探すのも、以前より簡単でしょう。

転勤族の孤独から身を守るのは、自分自身です。自分の気持ちを、上手にコントロールして、できるだけ楽しく過ごしたいものです。


介護日記スタート

糖尿病と認知症、そして視力障害を持つ義母の介護日記スタート

はじめまして。糖尿病で認知症、視力障害を持つおばあちゃんの介護を始めて、五年になります。おばあちゃんとは、夫の母、つまりお姑さんです。同居を始めて八年目になります。これから、夫の両親との同居から介護が始まるまで、核家族と三世帯同居の違いなど、さまざまな面で経験したことをお伝えして、お役に立つ情報を提供できればと思っています。どうぞよろしくお願いします。

まず、自己紹介をします。長崎県大村市在住、五十歳を過ぎております。出身は長崎県佐世保市です。東京都出身の夫と結婚し、結婚後十二年ほどは、全国各地を転勤するサラリーマンの核家族でした。この間、長男、長女を出産、専業主婦としてPTA活動に積極的にかかわり、地元民ではない孤独に落ち込むことなく、各地にお友達をつくりながら、子どもを育て、自分自身の生きがいを見つけながら生活してきました。

夫の脱サラを機に、長崎県大村市に移住(空港があり、東京との往き来に便利であるという理由で)、二年後に夫の両親を東京から呼び寄せ、その四年後に同居を開始しました。ちなみに夫は一人っ子です。夫の両親は、義母の目が不自由なので、義父が家事をしていたのですが、持病のリュウマチが徐々に悪化、ついに家事もままならなくなり、同居することになりました。リュウマチも、悪性と名の付く難病のほうで、引っ越して来てからも、入院したことがあり、夫婦だけで生活するのは、すでに難しくなっていたのです。ですから、我が家の同居生活は、始めから、介護を見越しての同居で、同居のために建てられた家は、車イス対応のバリアフリー、手すり完備の家でした。