担当医は在宅医療推進派
自力で食事を取れなくなったおばあちゃんの今後の治療について、担当医と面談する日が来ました。
夫婦で相談…というより夫の決断に委ねられていましたが、結局のところ分からないことが多すぎて具体的な結論は出せないまま、取りあえず人工栄養をお願いする事だけを決めての面談です。面談の場には、私たち夫婦と担当医の他に、コーディネーターという女性が同席されました。
今後の方針の大きな選択肢は、1.延命治療はせず点滴のみで自然に任せる 2.人工栄養で延命治療する の二つに一つです。まず、人工栄養をお願いすることを伝えました。人工栄養を施したのち管理する場所の希望も尋ねられましたので、夫はかねてからの希望通り、できれば在宅でと伝えました。しかし実際に自宅でできるものかという夫の質問に、お医者様は実例を挙げながら在宅での療養が十分可能であるという説明をされ、胃ろうを造り在宅で介護するのが良いでしょうと言われました。
おばあちゃんが日本尊厳死協会に入っていたこともあり、お医者様からそう言われるまで正直なところ胃ろうの造設は考えていませんでした。在宅の希望も、医療的ケアの程度によります。夫は、このようなものがあるのですがと持参していた『尊厳死の宣誓書』を先生に見せました。宣誓書に一通り目を通した後、お医者様は「この文面だけでは、胃ろうは出来ないとは言えませんね」と言われました。結局のところ『宣誓書』は、家族の理解と強い意志が無ければ効力を持たないという事でしょう。
その場に臨むまで考えていなかった胃ろうの話が、当然の成り行きとしてお医者さまの口から語られていきます。胃ろう造設から退院後までの説明の中には、家族が病院で医療的管理の指導を受けることも含まれていました。ヘルパーさんの力を借りるとしても、家族総出でお世話をする必要があることを痛感しました。
医療的ケアを伴う在宅介護が、突然、現実となって目の前に現れ、話がどんどん進められていきます。話を聞きながら退院後の生活を考え、気が重くなっていきました。糖尿病の血糖値の検査すら拒絶して手を払われていた私が、痰の吸引など出来るのだろうか。管を引き抜くおばあちゃんが、未だ見た事のない『胃ろう』というものを危険に扱ったりしないのだろうか。そんな私の混乱をよそに年末の手術と、体力をつける為に経鼻栄養を始める事が決まっていきました。
後で分かったことですが、担当医は、胃ろうを造ることに積極的で在宅医療を推進しているドクターでした。在宅医療は国も推進していることであり、重い病気の療養のために本人も家族も望んで在宅医療を受けられる事例はよく聞きます。しかしそれは、療養を受け入れる本人の意志をもっての自宅療養であり、療養を拒絶しがちな認知症患者の在宅医療とは勝手が違います。
在宅医療を推進して医療費の削減を図るという国の方針は理解できますが、それが認知症患者の在宅医療である場合、その介護やケアのために働き盛りの家族が離職せざるを得なくなる事例も多く、果たしてそれが国の為になるのかとつくづく思います。認知症の介護の為に既に仕事を減らしていた私は、その後の生活を思い、暗澹たる気持ちで病院を後にしました。