認知症患者に胃ろうを造設するということ

さて、外科的手術も受け入れ胃ろうを造設することを、夫は決断しました。おばあちゃんは夫の母ですので、決断は夫がすべき事でしょう。しかし介護するのは、嫁である私です。経済的な事情もあり、仕事を辞めるわけにはいきません。自宅で夜に開いている小さな塾ですので日中の介護はできますが、それなりに時間も労力も必要です。介護、家事、仕事、子供の事、やるべきことが沢山ある中で、医療的ケアも加わって、果たして素人の私に、その全てができるのでしょうか。それまでの介護生活でさえ、疲労困憊していました。考えれば考えるほど、不安が増していきます。

そんなある日、元看護士の友人と話す機会がありました。おばあちゃんに胃ろうを造設して自宅で介護すると話すと、「それは本当に大変だ」と言います。「大丈夫ですよ」と在宅医療を推進する人々ではなく、実際にそのような患者さんを看護した経験者です。彼女によると、認知症の患者さんが、造設した胃ろうのカテーテルを抜いてしまうことは日常茶飯事で、抜かれたものは元に戻さなければならない。けれど、それがなかなか上手にできず、とても苦労したと。自分の力不足であったが何しろ大変だったと、その経験を話してくれました。

事故や病気で食事を摂れなくなってしまった患者さんが、胃ろうを造設してその機能を補い在宅で療養することは、ひとつの医療の方法として大変有効であろうと思います。しかし、判断力の衰えを伴う認知症の患者さんに関しては、カテーテルを自ら抜去してしまう危険が伴います。自宅で介護する間ずっと、その危険への警戒と、実際に起こった場合の対処に追われることは容易に想像できます。友人は力不足だったと謙遜していましたが、看護士だった友人より上手に対処できる自信は全くありません。友人の話を聞いて、ますます不安しかない状態に陥り、新年を迎えました。

予定ではお正月明け、病院が再開してすぐに外科の先生と面談し、手術について相談する事になっています。なるようにしかならない、と若干なげやりな心境で過ごしていたところに、病院から電話がありました。外科の先生です。

先生曰く、「胃ろうの造設は難しいようです」「経鼻栄養でも、自宅での介護は無理でしょう」

年末年始の業務中、巡回で何度かおばあちゃんを診た外科の先生は、上手に経鼻栄養のチューブを抜き、決しておとなしく横になっていない様子を見て、そう判断されたのでした。医的にはもちろん、介護する側の精神的負担を慮ってそのように言って下さったことを、本当に有難く感じました。

結局、外科の先生の提案を夫は受け入れ、胃ろうの造設を断念。経鼻栄養の状態で受け入れてくれる終末期医療の病院に、転院することになりました。

☘スポンサーリンク☘

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする